レイブの歴史

現在見られるようなレイブが生まれたのは1980年代後半の英国である。それまでの屋内に閉じこめられていた若者のナイトライフが、アシッドハウスとテクノという当時最新の音楽の流入と、エクスタシーなどの多幸系ドラッグの流行により大きくその志向が変化した。若者たちが、それまでのナイトクラブやディスコになかったまったく新しいパーティー経験と音楽を求めて、ウェアハウス(倉庫)や郊外の廃屋や農場などを利用してフリー(無料)・パーティーを自らの手で開いたのがその原型である。DIY精神により、その開催や集客は既存メディアや音楽業界に頼らず、もっぱら口コミだけで行われ、やがて毎週末になると辺鄙な場所にあるレイブ会場にレイバーと呼ばれる参加者たちが集まるようになってくる。レイブは、それまでなかった音楽性やそのフリー・パーティーの享楽性と連帯感などにより多くの若者をひきつけ、巨大なムーブメントへと爆発的に成長した。この動きはしばらく遅れて世界各国に波及する。

しかし、その大きな要素の一つであったドラッグの広範囲な使用や、社会不安の原因となるといった観点から政府や警察はレイブを危険視し、強力に取り締まることとなる。また、レイブが巨大化し参加者が増えるにつれ、商業目的として多額の参加料をとるレイブが出現し、巨額の利益を上げるようになっていく。やがてブームの沈静化とレイブを取り締まる法律の施行などに伴い、従来のような巨大な野外での違法レイブはその数を減らし、かわって警察の認可の元に巨大な会場で有名なDJやダンス系のバンドを集めて行われる合法的なレイブが主体となっていった。また、非商業・音楽志向のレイブのDJやクラバーはその活動場所をクラブへと移していくこととなる。

しかしながら、規模は小さくなったもののアンダーグラウンドのフリーパーティーやウェアハウスパーティーも未だに世界各国で開催され続けており、クラブ音楽の重要な側面として存在している。また、90年代終わりからのトランス音楽の流行に伴い、再び一部の地域でレイブが盛んになってきている。また、ドイツのベルリンのように、市当局が観光振興の為に多くのスポンサーの協力をえて商業的ながらも無料の巨大なレイブ、ラブパレードを開催しているような例もある。こうした体制に取り込まれる動きや商業目的のレイブには、かつての非商業的でDIY精神に溢れていたアナーキーなレイブを知る人間からは批判も多い。

現在において、レイブ・パーティーの定義はその国や人によって多様である。いわゆる違法のフリーパーティーやウェアハウス・パーティーのみをレイブと呼ぶ人間もいれば、WIREのような大規模なコンサート形式のものもレイブと呼ぶ人間もいる。

 


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